kuroiの気ままブログ

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雑文ハードビスケット

最近「夫のちんぽが入らない」を読んだ。以下完全ネタバレ含む。

 

あらすじ。地味な女の子が大学進学と同時に都会に出てきて一人暮らしをするようになる。その初日に同じアパートに住む男が世話をしてくれた。男は同じ大学の先輩だった。ほどなくしてふたりは付き合うようになるが、どうしてもちんぽが入らない。先輩のちんぽは大きかったがこんなことは初めてだという。やむなく口や手で幼稚なセックスにとどまる。時を経て二人は結婚する。夫は教師で、「私」も憧れの教師になる。相変わらず二人は「入らない」ままだ。教師生活も順風満帆にはいかず「私」は多大なストレスの末、ネットで出会った男と会うようになってしまう。そして皮肉なことにそれらの男のちんぽは入ってしまうのだった。どうやら夫も風俗店によく通っているようで二人の性生活は完全にすれ違う。「私」は辞職し、夫もまた仕事のストレスからパニック障害を起こす。普通の夫婦のかたちからは程遠く、仕事もままならなず、子供は産まれず、ちんぽすら入らない。でもそれでいいと思えるようになった。普通にこだわらなくていい。こんな夫婦の形だってあっていいはずだ。少しずつだけど、長い間囚われていた考えから「私」は解放されていく。

 

なんでこんなに共感できるんだろう。想像もつかないけれど、切実さが伝わってくる。僕自身これほどではないにしても、生きづらさを抱えているからなのか。

ほんとちっぽけだけど、僕自身は生きづらさを感じている。宗教という生きづらさに囚われて今も過ごしている。大人になったからある程度受容できてはいるけど、でも辛いなって思うこともある。そんな感じだ。もちろん甘えだって言われても仕方ない。

それでも違う家に生まれたらどんな人生だったんだろう、っていつも考えてしまう。教会の後継者としてではなく、自由な人生があったなら。もちろん大変だと思う。たくさん勉強して就職して嫌な上司と毎日顔を合わせる。僕の思い描くような自由は待っていないのかもしれない。それでも憧れる。

誤解があるかもしれないから一応言っておくけれど、今の環境にそれほど不満があるわけではない。もちろん辛いこともあるけれど、それなりに満足している。まわりの人達はおおむねやさしい人ばかりだし、それなりに僕もやりたいことをやれている。

でもなんだろう。すっきりしない。正体は僕にもわからない。漠然とした不安。少しずつ朽ちていく建物。先の見えない暮らし。一人、また一人と減ってゆく信者。そして自分も気づけば30歳になり、父親は心臓の病気で少し前まで入院していた。母親ももうすぐ定年だ。見ないようにしていた現実がくっきりと目の前に姿をあらわす。

どうしたらいい? 誰に聞いているんだ? 僕自身か? それとも神を信じているというとでもいうのか。この僕が。ならば朗報。

 

ああ、苦い。