kuroiの気ままブログ

小説書いたり読んだり。

宗教ってなんなんだよ。

一応最初に言っとくけど、別に宗教毛嫌いしてこんなこといってるわけじゃあない。

 

むしろ僕は宗教の「中の人」だ。

 

だからこそ言いたいことがたくさんある。宗教やってるやつがみんな宗教好きでやってるわけじゃないし、むしろそんなやつは幸せなやつだと思う。自分のやってることに誇りもてるって羨ましい。もちろん僕はそうじゃないってことになる。

 

僕の家は百年以上続く教会で僕はそこの長男だ。別に長男だから必ず継がなきゃいけないってルールはないけど、でもそんなことしたらもちろん家には住んでいられない。両親だって悲しむだろうし、僕にはそんな勇気はなかった。だからすげえ消極的な気持ちだけど、今はその教会の後継者ってやつだ。

 

もう親父もそれなりの歳になったし、いつ自分にその役が回ってきてもおかしくないし、その覚悟もできてる。……じゃあ問題ないじゃんって思うかもしれないけど、僕の抱えてる問題はここからなんだよね。

 

僕、神様信じてません。

 

マジで。こんなこと誰にも言えたことじゃない。どーでもいいことかもしれないけど、僕からしたら本当に深刻な悩みなんだよな。じゃあやめろよ、ってことになっちゃうのかもしれない。いや、実際そうだよね。神様信じてねーのに、指導者やろうって意味がわからない。でも、もう今さら断れない。

 

僕は小さい頃から控えめで、そのうえ何も考えてなかった。馬鹿だった。でも目立ちたがり屋の部分もあって、何もできないくせに人前に出て恥かいたりしてた。学校の成績は特別悪くもなかったけど、宿題はまったくといっていいほどやらなかった。ゲームと漫画がすきだった。典型的三日坊主タイプで努力なんて続いた試しがない。自分でいうのもなんだけど、まあ優しいやつだったんじゃないかなとは思う。

 

宗教の行事には一応ちゃんと参加してた。それが何かはよくわかっていなかったけれど、両親についていってただけだ。そこで儀式みたいなものも見てた。もちろん馬鹿だから、それがどんな意味を持つのかよくわかっていなかった。でも子供も周りにはたくさんいたし、変な風には思わなかった。

 

高校、大学と進学させてもらったけど、正直勉強なんて一つも身についちゃいない。社会に出るのを少しでも遅らせたくて進学しただけだ。いや「社会に出るのが」じゃなくて、宗教にどっぷり浸かるのが嫌だった。

 

僕の行動理念は常に楽しさにあった。大学生になってもそれは一緒で、遊んでばかりだった。部活もやってたけど、そんなに熱心でもなかった。宗教の活動には自発的に参加するようになった。

 

宗教にはその年齢に合わせていろいろな活動がある。だいたいどの宗教でもそうだと思う。小さい子供には施設で子供会をやるとか、ママ友同士の集まりを開くとかそういったやつだ。学生には学生らしい自発的な活動を促す集まりがある。宗教によって差異はあるだろうけど、学生にもなるとそれなりに信仰に向き合うやつが出てくる。

 

僕は信仰になんて向き合ってなかった。ただそこにいるやつらと一緒にいるのが楽しかった。宗教が同じだと、わかりあえるし気を使う必要もなかった。でも本当に真剣な話になったとき、僕は黙って呆けているしかなかった。たまに話を振られるとヘラヘラ笑っていた。みんな優しいから「仕方ねーやつだな」って言って流してくれた。

 

その頃には「普通」の子たちとは話が合わなくなっていった。僕は入学する前から、大学を出ると宗教施設で修行することに決められていた。というか僕が約束するといったわけだけど。そんなやつと、勉強や就職活動の話をしようなんてやつは滅多にいない。

 

それで結局卒業はできなかった。だってやる気ないんだもん。それ周りに言ったら、お前は親不孝者だな、って言われた。ほんとそうだよな。それは宗教関係なしの感想。あたりまえか。

 

ちなみにだけど、宗教やってる人でも真面目な人は真面目だ。将来仕事をせずに寺で坊主になるってひとでも学校の勉強はしっかりしてる優等生もいる。あたりまえだけど。僕が言いたいのは僕が特別「落ちこぼれ」だってこと。

 

まあ、教会を継ぐんだから勉強なんて関係ない。それが僕の当時の言い訳だった。でもそんなに甘くはなかった。周りのやつはしっかり勉強して、努力のできる、忍耐力のある、誠実で真面目な人間ばっかりだった。ばっかりっていうとこれも語弊があるけど、とにかく眼の前のことも一生懸命できない人間に居場所はなかったってわけ。やっぱ何事にも人柄とか人格って大事なのよね。

 

いやむしろ、それこそが信仰者にとってもっとも大事なものだった。それに気づくのはもっと後になってからだけど。馬鹿だよな。早くきづけ。

 

学生運動や大学中退のことで僕はけっこう悪目立ちしてたみたい。宗教施設で五年間修行させてもらったわけだけど、入ってきたときの僕の評価の悪さっていったらひどかった。もちろん身から出たサビ。自業自得だ。態度の悪い馬鹿な奴が入ってきたって感じかな。その態度の悪さってのはいわゆる不良みたいな感じじゃなくて、出来損ないのぼーっとしたやつって感じ。まあどこにでもいるでしょ?そんなやつはどこにいったって役に立たねー。

 

詳しくは書かないけど、それなりに修行したわけだな。一応五年も経てばよっぽどのことがない限り、それなりの評価はついてくる。だってそもそも五年修行しようってやつがいないんだから。適当に文句言いながらでも「居た」ってだけで、すごいね、っていわれるんだね。

 

だから僕はいつの間にかそれなりの人間になっていた。周りのひとたちからすればね。僕はなんにも変わっちゃいない。信仰心もなければ、三日坊主も治っちゃいない。施設の掃除はいつでもダルいし、儀式の最中は眠くて仕方がない。

 

でも、人の目っていうのは人を変えるのかな。僕は「真面目なやつ」になった。それなりの扱いを受けることによって、それなりのやつとして振る舞うようになった。行事があれば進んで参加するし、困っているやつがいたら手を差し伸べた。手が足りないと言われたら喜んで(る風にみえるように)手伝った。

 

そして僕は正式に後継者として認められた。神様も信じてないのに。

 

いい加減僕も馬鹿すぎる。愚か者。何を一生懸命取り繕う必要があったのか。どこかで投げ出せばよかったじゃないか。仕事して金儲けしたらよかったじゃないか。

 

ああ、なんか疲れたよ。

 

もっと詳しく書けば僕の愚かさはもっと伝わるのかな。悲劇か喜劇かしらないけど僕の物語は盛り上がりをみせるのだろうか。でもそれはまたでいいや。とにかく今日、ここに吐出したことは事実だし、受け止めなきゃいけない。

 

くだらない話だね。すいません。