kuroiの気ままブログ

小説書いたり読んだり。

純文学って何?

私は基本的に純文学作品にしか手を付けないことにしています。

 

別に大衆文学を毛嫌いするわけではありません。裾野を広げればそれだけ読みたい作品が増えるので困るというだけのことです。だいたいすでに読みたい本が山積みであるので新しいジャンルの本に目を向ける暇がないのです。

 

純文学とか大衆文学とか言っているのは日本人だけだ、という批判もあります。

海外ではそんな分類しないし、日本でもその線引きは非常にあいまいであるので、その意見はごもっとも。それでも日本の文壇には純文学と大衆文学が確実に存在している(ように見える)。

 

現代純文学の代表的な作家を挙げるとすれば、大江健三郎村上春樹小川洋子村上龍川上弘美とかですかね。若い人だと、平野啓一郎、村田紗耶香、中村文則又吉直樹とか。

じゃあこの人たちは何をもって純文学作家なのか。それは単純にデビューした雑誌が純文学系の雑誌だってことは一つの理由でしょうね。基本的に純文学系の雑誌(文学界とかすばるとか)でデビューした作家さんはその文章を買われてデビューしてんだから当然純文学の作家だよねって話。

だから日本において純文学か大衆文学かを決める大きな要因としてこの文芸誌ってやつがあるのね。純文学の雑誌が認めた作家は純文学作家。大衆文学の雑誌から出てきた作家はそういう作品を書くよねってことになるのかな。

 

でも、純文学の作家さんが大衆文学書かない、ってわけじゃない。

ファーストラブで直木賞作家になった島本理生さんは純文学の出身だし、これも最近だけど、宮内悠介さんとかもいろいろ書いてたりする。島本さんは直木賞の受賞会見の時に、「芥川賞はもう無理だな、って思って純文学はあきらめた」って言ってたんですよね。これって作家は明らかに純文学と大衆文学を書きわけてるってことですよね。

 

中村文則さんが『何もかも憂鬱な夜に』のインタビューの中で「警察小説を純文学でやろうと思った」って言ってたんですよ。純文学でやる、ってなに? って思ったんですが、中村さんは2017年に上智大学で開催された「人生に、文学を」オープン講座において「純文学とは何か」について持論を述べられていて、

「小説は人間を描いている。純文学は単純にそれが深い」みたいなことをおっしゃってました。あやふやだけれど、でもわたしは一応それで納得しています。純文学の作品はたしかに深く人間を描き出している。それは感じます。

 

大衆文学は読者が感動したり、怖いと思ったり、面白いと感じたり、する。

純文学は人間の本能や極限状態や本質をえぐり出している。

でも、この二つって相反するものじゃない。まったく違う二つのジャンルじゃないんですよね。だから、両方の要素を兼ね備えた小説が世に出ることがある。

そういうことだと思うんですよね。

 

 

でも、そんなことより本って面白いんですよ。

それでは。

【キングスフィールド】について語りたくなった。

なんだか【SEKIRO】というゲームが流行っているとか。なにしろこのスマホ課金ゲーム世代において、据置き機でイージーモードなしの超絶難易度という狂った設定の鬼畜ゲームらしい。まあ最近のチュートリアル満載、親切な村人、難易度★☆☆☆☆、っていうゲームにはがっかりだったのでいいニュースだね。ってよく見てみたらフロムじゃねーか!僕たちがキングスフィールドの時代から愛してやまないフロム・ソフトウェア。さすが、やってくれるね。

 

キングスは不朽の名作です。でもやっぱりFPSってそうなりがちなのかな、ゲーム性だけが評価の対象になってるよね。実際そのお蔭で有名になったってところはあるんだけど、僕としてはやっぱりこの秀逸なストーリーも評価してほしいよねって思ってるんだな。もちろん既プレイの人はわかると思うけど、ゲームの中で人と会話することが極端に少ないから、どうしてもストーリーが薄れちゃうと思うんだよね。でもやっぱりそこを掘り下げて理解していかないとこのゲームを遊び尽くしたとはいえないんだよね。

 

ここからはヴァーダイト三部作にあたるⅠ・Ⅱ・Ⅲの話になるんだけど。悲しい物語なんだよね。ちょっとかいつまんで説明するよ。

 

KING'S FIELDⅠ

まずはⅠから。大陸の北に位置する小国ヴァーダイトでのこと。伝説に残る魔導器を捜索するため、国王・ラインハルト3世が部隊を地下墓所に送り込むことになったんですな。しかし部隊は壊滅。主人公の父・ハウザーも行方不明。それを噂で聞きつけたジャン・アルフレッド・フォレスターが単身、王家の地下墓所に乗り込むわけ。

ちなみにこの地下墓所っていうのが、昔は森の竜の神殿と呼ばれていたわけなんだけどそれが長い年月を経て王家の墓になり、近頃では魔物であふれかえるとんでもない場所になっちゃったわけ。

深くまでもぐると、やはり父は死んでしまっていた。魔導器の正体が明らかになる。それはハウザーがジャンに遺した、一族に伝わる剣。それがこのシリーズに一貫して登場するムーンライトソード。これさえあれば大丈夫なんですわ。ちなみにこの終盤で登場するフォレストドラゴンがフォレスター家にこの剣を与えた模様。

で、ラスボスはラインハルト3世。王様やん。てことでぶっ殺。ジャンは王様になりましたとさ。

 

KING'S FIELDⅡ

その昔、大地の神ヴォラドがその体を2つに分けて、世界を守護させることにしたらしいわ。それが黒竜・ギーラ、白竜・シースなんだよな。はっきりわかんだね。ちなみにこの2竜はなぜか対立し合っていて、お互いを滅ぼそうとしてるみたい。

で、時は流れてジャンが治めるヴァーダイト。最近になって厳重に保管されていたはずの聖剣・ムーンライトソードが盗まれてしまった。近くにメラナット島って島があってそこにいる教王と名乗る人物がどうやら怪しい。でもジャンは王様だから隣国の第二王子・アレフに調査を頼むことになったぜ。でも船は難破して気づいた時には浜辺に打ち上げられていたぜ。で結局教王は操り人形で、それを操っていたのが黒竜・ギーラ。ギーラは光の魔力を持っていて、ムーンライトソードは彼が作ったもの。力のあるものを引き寄せ、自らを守護させる為のものだったらしい。のフォレストドラゴンはギーラの思念的な存在らしい。光には闇だっつってアレフは闇の白竜・シースからダーククリスタルを貰う。そんで凄腕水晶細工士・レオンの力を借りて第二の聖剣・ダークスレイヤーGET。後はぶっ殺。てかこの竜ども、なんなの??

 

KING'S FIELDⅢ

 二振りの聖剣は無事封印されることになったんすけど、しばらくしてジャンが病気になってしまうんですな。原因不明の病に苦しんでいたジャンだけど、一夜にして治っちゃうんだよね。でも別人のようになってしまっていた。それから国土は荒れ果て、魔物は野放しに。見かねたアレフは命がけで城ごとジャンを封印する。まだ幼かったジャンの息子・ライルをレオンに預け、アレフは息を引き取った。

時は流れて城の封印は力を弱め、魔物の力も強まっていた。このヴァーダイトにはもう数えるほどしか人は住んでいない。レオンは第三の聖剣・エクセレクターをライルに託す。そしてライルは旅立つことになる。アレフとレオンの想いに応えるため、ヴァーダイトの聖剣にまつわる呪いを終わらせるため、そして父王を討つために。

 

とまあストーリーだけ追っていくとこんな感じですわね。でも正直プレイしてる時はそんな余裕もないんだけど。いつ死ぬかわからないからドキドキしっぱなしでしたね。ほんとに累計1000回ぐらいは死んでるんだろうな。ちなみにKING'S FIELDもすごく面白いんですが、ストーリー的なつながりは一切ないのでここでは割愛します。でもゲーム性はかなり好きだったりする。(でもラスボスがなぁ……)

 

SEKIROは未プレイなのですがストーリー大好き人間の僕としてはぜひプレイしてその世界観を味わってみたいところです。またSEKIROのストーリーも紹介できたらいいね。それじゃ。

大局観

プロフェッショナル~仕事の流儀~を見た。

棋士羽生善治さんが出ている回だった。

私は羽生さんの中には幾千もの手がインプットされていて、天才的な記憶力を持って、合理的で効率的な将棋を打っているのだと思っていた。それは半分その通りで、もう半分はそうではなかった。羽生さんは30代になってから打ち方が変わったのだという。

重視しているのは大局観。直感を大事にすることだという。あえて手を読まない。

意外だった。直感。コンピューターのようなイメージからは程遠い言葉だ。

全体を見る力。それはたくさんの経験を積み重ねたからこそできる境地なのか。

才能とは、努力を継続できる力。

自分の将棋を極め、進化させていくことのできるその努力の継続こそが羽生さんを形づくっているのだ。まったく頭が下がる思いだった。

令和的宗教考察

昭和終わったときの話。あのとき宗教は完全に終わった。キリスト教も終わったし、イスラム教も終わったし、仏教も終わってる。宗教の本当の意味なんてもう無くなってしまった。純粋に神を求めている人もいたかもしれないが、ほとんどはそうではなかった。新興宗教も終わった。創価学会も終わった。天理教も終わった。大本教とかは潰された。エホバは元から終わってた。完全に宗教終わったって思った。でもさすがに信者に対して本部はそういうスタンスはとれないから見ないふりをした。そして露骨な延命措置に取り組んだ。それは案外間違いじゃなかったかもしれない。

終わってるってのは価値が無くなったってことだ。人間として価値が無くなってしまったら人間も終わるんだろう。僕はまだ終わってない、と信じたい。

そんなこんなで平成も終わった。平成は宗教の扱いマジで底辺だった。何もしてないのに嫌われた。でもそれは仕方ない。終わってるし。気持ち悪いし、害しかないと思われてるし、実際そのとおりだから仕方ない。一応言うけど僕、中の人だからね?

で、令和の宗教はどうなるのって話なんだけど、これはもちろん宗教自体今の所終わってるんだからまた始まるってことはないだろう。当然。希望的観測なし。奇跡もない。むしろ本当に神様いて、それが真実なんだったら奇跡ぐらい起こしてくれよって話。なんか宗教伸び悩んでるのおまえらのせいとか、上から言われたりするわけよ。でもじゃあどうすりゃいいのさ。だれも価値ないってわかりきった商品、どうやって売るのさ。腐ったリンゴを誰が食うってんだよ。商品に価値がないんだからいい加減分かれジジイ。

で、宗教批判しながら僕が宗教続けてるのなんで、って話になるんだけどぶっちゃけこれ楽しいからなのね。洗脳じゃないよ?笑 まあ昔からの知り合いとか友達とかでけえサークル的な感じなのよね。もちろんその中ではある程度信仰心ありますよ、ってポーズはとらなきゃいけない。それだけ。あとはみんないいやつなのよね。宗教と組織は腐ってるけど、でも大半のやつはただの優しいいいやつなんだよ。だから続けてるだけ。

なくなりはしない。それって価値はあるってことなんだろうか。そういう人たちにとって宗教は価値があるんだろうか。僕にとっても価値はあるのか。宗教、終わってないのかな。一般的な日本人の価値観からすると宗教終わってるけど、狭い世界ではまだ終わってないのかな。

でもそういうもんよな昔から。

 

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雑文ハードビスケット

最近「夫のちんぽが入らない」を読んだ。以下完全ネタバレ含む。

 

あらすじ。地味な女の子が大学進学と同時に都会に出てきて一人暮らしをするようになる。その初日に同じアパートに住む男が世話をしてくれた。男は同じ大学の先輩だった。ほどなくしてふたりは付き合うようになるが、どうしてもちんぽが入らない。先輩のちんぽは大きかったがこんなことは初めてだという。やむなく口や手で幼稚なセックスにとどまる。時を経て二人は結婚する。夫は教師で、「私」も憧れの教師になる。相変わらず二人は「入らない」ままだ。教師生活も順風満帆にはいかず「私」は多大なストレスの末、ネットで出会った男と会うようになってしまう。そして皮肉なことにそれらの男のちんぽは入ってしまうのだった。どうやら夫も風俗店によく通っているようで二人の性生活は完全にすれ違う。「私」は辞職し、夫もまた仕事のストレスからパニック障害を起こす。普通の夫婦のかたちからは程遠く、仕事もままならなず、子供は産まれず、ちんぽすら入らない。でもそれでいいと思えるようになった。普通にこだわらなくていい。こんな夫婦の形だってあっていいはずだ。少しずつだけど、長い間囚われていた考えから「私」は解放されていく。

 

なんでこんなに共感できるんだろう。想像もつかないけれど、切実さが伝わってくる。僕自身これほどではないにしても、生きづらさを抱えているからなのか。

ほんとちっぽけだけど、僕自身は生きづらさを感じている。宗教という生きづらさに囚われて今も過ごしている。大人になったからある程度受容できてはいるけど、でも辛いなって思うこともある。そんな感じだ。もちろん甘えだって言われても仕方ない。

それでも違う家に生まれたらどんな人生だったんだろう、っていつも考えてしまう。教会の後継者としてではなく、自由な人生があったなら。もちろん大変だと思う。たくさん勉強して就職して嫌な上司と毎日顔を合わせる。僕の思い描くような自由は待っていないのかもしれない。それでも憧れる。

誤解があるかもしれないから一応言っておくけれど、今の環境にそれほど不満があるわけではない。もちろん辛いこともあるけれど、それなりに満足している。まわりの人達はおおむねやさしい人ばかりだし、それなりに僕もやりたいことをやれている。

でもなんだろう。すっきりしない。正体は僕にもわからない。漠然とした不安。少しずつ朽ちていく建物。先の見えない暮らし。一人、また一人と減ってゆく信者。そして自分も気づけば30歳になり、父親は心臓の病気で少し前まで入院していた。母親ももうすぐ定年だ。見ないようにしていた現実がくっきりと目の前に姿をあらわす。

どうしたらいい? 誰に聞いているんだ? 僕自身か? それとも神を信じているというとでもいうのか。この僕が。ならば朗報。

 

ああ、苦い。

 

雑文ハードビスケット

タイトルに意味はありません。思ったことを書いていくだけなので、駄文・支離滅裂・意味不明なんてことになってしまうかもしれません。そもそも僕の思考記録みたいなものなのでご注意ください。最近こんなことばっかりしてるなあ。

 

僕は一応作家を目指しています。今まで書き上げた作品は1作のみ。それで作家目指してるとか言ったら笑われるかもしれないけど。でも真剣に目指しています。正直どうしていいのかわかんない。たくさん本を読んでたくさん書いて研究して推敲して書き上げる。それしかないと思うけど、近道があるならだれか教えてください。

 

小説家ってすごいなって思う。書いてみてわかったけど、こんなにたいへんなことってない。あれだけの文章をあれほどのクオリティで書き続けられるって、並大抵のことじゃない。すごい。僕には真似できない。今は。

 

たくさんアイディアをノートに書き留めてみた。でも後で見返してみたら、こんなつまらねーこと書いてたのか、って燃やしたくなる。自分の頭から出てきたことなんてほんとつまらない。これじゃ小説家なれないじゃん。小説家の頭のなかってどうなってんだろう。つまらないものでも面白くするのが小説家? みたいな? いやそんなことない。よく言われてることだけど、梗概だけでも面白いのが、本物の小説みたいだし。

 

あらすじでも面白いって、なかなかすごいことだよね。話変わるけど、あらすじ書くのって難しい。うまく書けない。練習してみようか。どうせ誰も読んでいないことだし。

 

ではまず僕の一番好きな村田沙耶香さんの『コンビニ人間

 

恵子は幼い頃から一風変わっていた。死んでしまった小鳥を食べたいと言いだしたり、喧嘩をはじめた友人をスコップで殴って止めようとしたり。そのたびに両親は「どうして恵子には普通がわからないんだろう」と嘆いていた。

恵子は学生になり、近くにできたコンビニでバイトをすることになった。コンビニではすべてがマニュアルで管理され、異物は直ちに排除されていくことを知る。それが世界の歯車になる唯一の道であり、恵子の居場所だった。それから恵子は就職も結婚もせずにコンビニでバイトを続けた。当初はよろこんでくれていた両親も、だんだん不安視するようになった。30代も後半になって独身でコンビニバイトを続ける恵子はすでに「普通」からかけ離れてしまっていた。

ある時、白羽という男が新人としてコンビニにつとめるようになる。彼は勤務態度が悪く、そのうえ周りの人々をいろいろと理由をつけて見下している。ほどなく客とのトラブルがきっかけでクビにされるが、ひょんなことから白羽は恵子の家に居候することになる。白羽は社会の生産性のために働かされるのが耐えられないという。恵子に働いてもらうかわりに、自分は見せかけの伴侶となることで恵子にもメリットを訴える。たしかに男と一緒に住んでいるというだけで、まわりの恵子を見る目は変わった。次の一手としてコンビニを辞めさせて、就職させようとする白羽。しかしコンビニという拠り所を失った恵子は、何のために生きているのかわからなくなり、生活もままならなくなる。恵子は意を決し、白羽を振り切ってコンビニという自分の居場所に回帰する。

 

って感じかな?これじゃ長いのかな。

 

今突然思いついたからメモ書きにする。

 

「本はそこに存在するだけでいい。あとは読む人がその価値を決めてくれる。いつか僕の書く文章に価値を与えてくれる人のために僕は書き続けたい。」

宗教ってなんなんだよ。

一応最初に言っとくけど、別に宗教毛嫌いしてこんなこといってるわけじゃあない。

 

むしろ僕は宗教の「中の人」だ。

 

だからこそ言いたいことがたくさんある。宗教やってるやつがみんな宗教好きでやってるわけじゃないし、むしろそんなやつは幸せなやつだと思う。自分のやってることに誇りもてるって羨ましい。もちろん僕はそうじゃないってことになる。

 

僕の家は百年以上続く教会で僕はそこの長男だ。別に長男だから必ず継がなきゃいけないってルールはないけど、でもそんなことしたらもちろん家には住んでいられない。両親だって悲しむだろうし、僕にはそんな勇気はなかった。だからすげえ消極的な気持ちだけど、今はその教会の後継者ってやつだ。

 

もう親父もそれなりの歳になったし、いつ自分にその役が回ってきてもおかしくないし、その覚悟もできてる。……じゃあ問題ないじゃんって思うかもしれないけど、僕の抱えてる問題はここからなんだよね。

 

僕、神様信じてません。

 

マジで。こんなこと誰にも言えたことじゃない。どーでもいいことかもしれないけど、僕からしたら本当に深刻な悩みなんだよな。じゃあやめろよ、ってことになっちゃうのかもしれない。いや、実際そうだよね。神様信じてねーのに、指導者やろうって意味がわからない。でも、もう今さら断れない。

 

僕は小さい頃から控えめで、そのうえ何も考えてなかった。馬鹿だった。でも目立ちたがり屋の部分もあって、何もできないくせに人前に出て恥かいたりしてた。学校の成績は特別悪くもなかったけど、宿題はまったくといっていいほどやらなかった。ゲームと漫画がすきだった。典型的三日坊主タイプで努力なんて続いた試しがない。自分でいうのもなんだけど、まあ優しいやつだったんじゃないかなとは思う。

 

宗教の行事には一応ちゃんと参加してた。それが何かはよくわかっていなかったけれど、両親についていってただけだ。そこで儀式みたいなものも見てた。もちろん馬鹿だから、それがどんな意味を持つのかよくわかっていなかった。でも子供も周りにはたくさんいたし、変な風には思わなかった。

 

高校、大学と進学させてもらったけど、正直勉強なんて一つも身についちゃいない。社会に出るのを少しでも遅らせたくて進学しただけだ。いや「社会に出るのが」じゃなくて、宗教にどっぷり浸かるのが嫌だった。

 

僕の行動理念は常に楽しさにあった。大学生になってもそれは一緒で、遊んでばかりだった。部活もやってたけど、そんなに熱心でもなかった。宗教の活動には自発的に参加するようになった。

 

宗教にはその年齢に合わせていろいろな活動がある。だいたいどの宗教でもそうだと思う。小さい子供には施設で子供会をやるとか、ママ友同士の集まりを開くとかそういったやつだ。学生には学生らしい自発的な活動を促す集まりがある。宗教によって差異はあるだろうけど、学生にもなるとそれなりに信仰に向き合うやつが出てくる。

 

僕は信仰になんて向き合ってなかった。ただそこにいるやつらと一緒にいるのが楽しかった。宗教が同じだと、わかりあえるし気を使う必要もなかった。でも本当に真剣な話になったとき、僕は黙って呆けているしかなかった。たまに話を振られるとヘラヘラ笑っていた。みんな優しいから「仕方ねーやつだな」って言って流してくれた。

 

その頃には「普通」の子たちとは話が合わなくなっていった。僕は入学する前から、大学を出ると宗教施設で修行することに決められていた。というか僕が約束するといったわけだけど。そんなやつと、勉強や就職活動の話をしようなんてやつは滅多にいない。

 

それで結局卒業はできなかった。だってやる気ないんだもん。それ周りに言ったら、お前は親不孝者だな、って言われた。ほんとそうだよな。それは宗教関係なしの感想。あたりまえか。

 

ちなみにだけど、宗教やってる人でも真面目な人は真面目だ。将来仕事をせずに寺で坊主になるってひとでも学校の勉強はしっかりしてる優等生もいる。あたりまえだけど。僕が言いたいのは僕が特別「落ちこぼれ」だってこと。

 

まあ、教会を継ぐんだから勉強なんて関係ない。それが僕の当時の言い訳だった。でもそんなに甘くはなかった。周りのやつはしっかり勉強して、努力のできる、忍耐力のある、誠実で真面目な人間ばっかりだった。ばっかりっていうとこれも語弊があるけど、とにかく眼の前のことも一生懸命できない人間に居場所はなかったってわけ。やっぱ何事にも人柄とか人格って大事なのよね。

 

いやむしろ、それこそが信仰者にとってもっとも大事なものだった。それに気づくのはもっと後になってからだけど。馬鹿だよな。早くきづけ。

 

学生運動や大学中退のことで僕はけっこう悪目立ちしてたみたい。宗教施設で五年間修行させてもらったわけだけど、入ってきたときの僕の評価の悪さっていったらひどかった。もちろん身から出たサビ。自業自得だ。態度の悪い馬鹿な奴が入ってきたって感じかな。その態度の悪さってのはいわゆる不良みたいな感じじゃなくて、出来損ないのぼーっとしたやつって感じ。まあどこにでもいるでしょ?そんなやつはどこにいったって役に立たねー。

 

詳しくは書かないけど、それなりに修行したわけだな。一応五年も経てばよっぽどのことがない限り、それなりの評価はついてくる。だってそもそも五年修行しようってやつがいないんだから。適当に文句言いながらでも「居た」ってだけで、すごいね、っていわれるんだね。

 

だから僕はいつの間にかそれなりの人間になっていた。周りのひとたちからすればね。僕はなんにも変わっちゃいない。信仰心もなければ、三日坊主も治っちゃいない。施設の掃除はいつでもダルいし、儀式の最中は眠くて仕方がない。

 

でも、人の目っていうのは人を変えるのかな。僕は「真面目なやつ」になった。それなりの扱いを受けることによって、それなりのやつとして振る舞うようになった。行事があれば進んで参加するし、困っているやつがいたら手を差し伸べた。手が足りないと言われたら喜んで(る風にみえるように)手伝った。

 

そして僕は正式に後継者として認められた。神様も信じてないのに。

 

いい加減僕も馬鹿すぎる。愚か者。何を一生懸命取り繕う必要があったのか。どこかで投げ出せばよかったじゃないか。仕事して金儲けしたらよかったじゃないか。

 

ああ、なんか疲れたよ。

 

もっと詳しく書けば僕の愚かさはもっと伝わるのかな。悲劇か喜劇かしらないけど僕の物語は盛り上がりをみせるのだろうか。でもそれはまたでいいや。とにかく今日、ここに吐出したことは事実だし、受け止めなきゃいけない。

 

くだらない話だね。すいません。

絶忙

本当に忙しい。

更新が滞っている。本当に暇がなかった。とりあえず落ち着いたが、まだまだやることが山積している。本格的な更新はしばらくお休みする。

 

しかし、暇を見つけて書いていくことは忘れずにやっておきたい。

けっこう辛い

最近、物語っぽいものを書きはじめたわけです。

でも自分で今読み返してみても、面白くない。

クリエイティブぶってみたけど、ぜんぜん才能なんて感じない。

読みやすくもない。共感もできない。鋭くもない。

それがない文章になんの魅力があるのか。

ない。

しょうがないなんて言いたくないけど、しょうがない。

今まで書いてこなかったんだし。

だから書き続けたいって思ったわけだし。

共感なんて得られなくてもいい。

自分が書きたいこと書いていきたい。

でも正直心折れそう。

辛い。

ツイッターなんかでもそう。

ほんと共感得られない。これでもかってくらいいいねがつかない。

センスねえよなあ。

現実でもそうなんだよね。

なんていうか、理解されないっていうか。

なんて甘えだけど。

それなら努力しろって話だよね。

わかった。

わかってる。

努力するよ。

 

 

『嘘』2

 

 

「今日よろしく。たぶん少し遅れると思うけど」

 日曜日には行事が行われることが多い。今日は中学生以下の信者子女を対象とした教会周りの清掃奉仕作業が行われる。子供だけに任せるわけにはいかないので、僕と数人の信者が付き添うことになっている。

 西田は正面の御神体に向かって目をつぶり手を合わせた。数人の信者が教会の扉から出ていく声が聞こえる。それに混じって聞こえる車のエンジン音、自転車のベル、小鳥のさえずり。扉の隙間から入り込んだ音が教会の高い天井に反響する。

「それじゃ」

「うん、気をつけて。」

  その信仰心はどこから湧いてくるのだろう。西田の親に信仰があるわけでもなく、親戚にはむしろ止められたこともあるという。それでも信仰を選び取ったからにはそれなりの理由があるのだろうか。小柄な後ろ姿を見送って空を見上げると鼻の奥が痛くなった。

 中学生の参加者は四人、小学生は二十一人だった。小さな子供連れの母親の姿も目立つ。僕が小さい頃は数人の子供が来る程度だったように思う。いつもなら奉仕活動の前に父が簡単な挨拶をするところだが、今回は幹部の一人が代わりを努めた。

「みなさんこんにちは。元気がいいですね。たくさんお集まりいただいて嬉しいです。神様もきっと喜んでおられることでしょう。貴重な休みの日を神様のために使わせていただくことが、みなさんの徳づみになりますからね。さて、今日は教会の窓拭き奉仕をさせていただきたいと思います。高いところは大人でしますので、みなさんは手の届く範囲で結構です。それではよろしくお願いします。」

 子供たちが窓を布巾で拭きはじめる。拭き方が乱暴なので、掃除しているのか汚しているのかわからない。真剣に窓を見つめて取り組んでいる子もあれば、友達とお喋りをしながらしている子もいる。興味が無くなったのか、布巾を振り回して遊んでいる子達もいる。その姿に自分の幼かった頃が脳裏をよぎる。とは言っても僕の場合はもっとひどい。教会の裏手が家になっているのだが、小さい頃は行事の日になると自分の部屋に閉じこもって決して出てこなかった。掃除なんて嫌いだったし、他人に会うのはもっと嫌だった。そうしていつも西田が部屋まで声をかけに来た。

「ちょっと、布巾は振り回さないの」

「えーだってつまらないんだもん」

「今は大切な奉仕の時間だよ。みてごらん、みんなちゃんとしているでしょう。……健太君のお母さん病気なんだよね。健太君が頑張ってくれたら神様はきっと受け取ってくださって、お母さんの病気もよくしてくれるからね。だからほら、一緒にしようね」

 まっすぐな瞳で西田は語りかける。子供は納得したのかわからないが、それでも遊ぶのを辞めて素直に窓を拭きはじめた。他の子達もおしゃべりを辞めて熱心に窓に集中しはじめた。西田の声にはいつもそういった真剣さが滲んでいる。そうしなければならないと思わせるなにかがその声には含まれているのだ。

 僕もそんな西田の声にひかれて部屋を出ることになった。西田のには人を動かす力があるのかもしれない。当時の思い出はあまりないけれど、親しいわけでもなかった西田が執拗に僕の部屋をノックする音は今でも鮮明に覚えている。あれほど耳障りな音もなかなかない。渋々ドアを開けた僕に西田はひとこと「出てこなきゃだめじゃない」とだけ言った。僕は納得したわけじゃない。でも次の行事からはきちんと顔を出すようになった。

「それでは終わりにしましょう。中にお菓子を用意していますよ」

 子供たちが喜びの声をあげ、教会に駆け込んでいく。

「ちゃんと手をあらうのよ。いい?」

 あとを追って西田が教会に入る。それを見届けてから、僕は忘れ物や片付け忘れがないか見て回る。案の定そのままになった布巾やバケツが置いてある。ふと窓から中を覗き込むと、子供たちの中できらきらと笑顔を振りまく西田の姿があった。

連載はじめました。

作家を目指している。それはもちろん職業としての作家という意味で。

 

 

作家になる方法は簡単である。

作品を書けばいいのだ。それが読まれるかどうか、その作品が本になって読まれるかどうかは関係ない。だからただ書けばいい。

 

 

そんなふうにハウツー本に書いてあった。だから、書くことにした。

 

 

しかし、どこかで寂しさも感じる。

この作品がどこかで誰かの目に留まってほしいとも思う。

書いた時点で作家にはなれるかもしれないが、それでは寂しいだけだ。

僕は読まれる作家になりたいのだ。

 

 

だから書く。

面白い作品が書ければ言うことはないけれど、もちろんそんなの最初から出来っこない。……できるやつもいるかもしれないけれど、僕には難しい。

いつか面白い作品が書けて、それが誰かに読まれる日まで書く。

書き続ける。

 

 

思っただけじゃいけないから、書き記すことにした。

誰も見てくれなくてもいいけど、自分と神様に約束する。

 

 

最初の作品(完成すれば)のタイトルは『嘘』にした。

なんだか、さっきの話の皮肉みたいなタイトルになってしまった。

 

 

でも僕は『嘘』にしたかった。

なぜなら僕が嘘つきだからだ。僕は小さな頃から嘘ばかり吐いてきた。もちろん誰でも嘘ぐらい吐くかもしれない。それでも僕は嘘つきだった。友達にも嘘を吐いた。先生にも嘘を、親にも、兄弟にも、恋人にも、そして自分にも。僕は誰よりも嘘つきだった。

 

 

自分に自信がなかったんだ。

弱い人間だったんだ。

だから……仕方なかった。

 

 

自分をさらけだしたら嫌われてしまう。なにもない。自分にはなにもなかった。頭は悪いけど、それでも頭を一生懸命使って偽りの自分をつくりあげた。それは愚かにもすぐにバレてしまうような嘘であったりした。本当の馬鹿。

 

 

人のものを盗るのも得意だった。

万引きも何回したかわからない。

でもそんなのお互い様でしょ? 僕だって盗まれたものなんて山ほどある。自転車なんかよく盗られたし、高価なゲーム機を盗られたことや、財布を盗まれたこともある。だから僕は悪くないなんていうつもりはもちろんないけれど、でも、仕方なかった。

 

 

だってそうじゃないと生きてけなかった。

不安で不安でどうしようもなかったんだ。

 

 

なんて、ほんと汚い人間だね。

仕方ないわけない。言い訳すんな。

どうしようもない。

作家になりたいだなんてよく言えたもんだよ。

 

 

でも、だから書き続けないと生きていけないんだよ。

代わりがないと生きていけないんだよ。

だから、書かせてください。

 

 

お願いします。

『嘘』1

短い小説のようなものを書いていきたいと思います。

 

プロットは大体のものしか書いておりませんもので、どうなるのか、いつまでつづくものか、まったく私自身見当もつきませんが、おつきあいいただければ幸いです。

 

駄文・悪文・誤字・脱字のオンパレードの可能性もありますが、その際はぜひご指摘ください。ご意見ご感想等寄せていただけましたらたいへん喜びます。どれくらいのペースで連載していくのかわかりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

それでは。

 

 

 

 

『嘘』

 

 

「永田くんは本当に神様って信じてる?」

 窓の外を見ると、庭の椿が花を落とし緑の濃くなった葉が茂る。国道の側にあるこの建物は、窓を閉めきっていても車のロードノイズが響く。西田の鋭い声はその音にかき消されずに僕に届く。ただしその手垢のついた質問には答える気にもならない。

「私は信じてる。だってそうじゃないと何のためにここにいるかわからないし」

 西田は僕に背を向けて礼拝用の銀食器を磨いている。熱心に磨かれた銀色の皿は朝日を反射して眩しい。僕は彼女の華奢な背中を見つめている。薄手のカーディガンには肩甲骨の薄い線が浮かんで見える。

「もし本当に信じられないっていうのなら私が保証してあげる。この教えは絶対に間違ってないって」

 もし神がこの光景を見ていたなら、西田に拍手を送るのだろうか。あるいは神にはそういった感情はないのかもしれないが、とにかく僕はなにも答えたくなかった。あと少しすれば僕は教師になる。この教会に生まれついた運命。一年ほど前に父から言われたときも異論はなかった。両親や周りの信者連中は喜んだが、西田は今でも心配しているようだ。

 僕には信仰心がない。教会で与えられている仕事はこなすけれど、信仰心とは関係がない。だいたい信仰心というものがどんなものであるか、それもわからない。その点、西田は信仰者だといえるだろう。彼女はいつも自信に満ちていて、朝夕には必ず教会で祈りを捧げる。僕も一緒に礼拝しているけれど、神のことなど頭にはない。一緒に育ってきたけれど、どこでこの差が生まれたのかわからない。教会は継がなければならないから継ぐ。継ぎたいとは思わないが、両親を裏切ることはできない。

 父はもう歩けない。歩けなくなった。病気がわかったのは二十年ほど前だったらしい。ゆっくりと体の自由が失われていく病気で、本当はもう十年前に死んでいるはずだった。父は驚異的な粘りを見せ、最近まで難しい神言を説いていた。いや、それは今でも変わらない。この十年の父の様子に医師は驚いていた。両親は神様の御加護だとよく言う。それから昨年末に父は車椅子に乗るようになり、今月のはじめに入院した。もう長くないという。

 少し焦ってもいた。僕に父の代わりが務まるだろうか。神への信心を持たないものが教師になることが許されるのか。話の技術を磨き、法衣を着てそれらしく見繕ってみても、その底に信心のない言葉は嘘に等しい。毎日必死で教義書をめくってみても、神を信じる方法は書かれていない。

 代務者を立てる話もあった。三十歳の世間知らずには荷が重いと思われたのかもしれない。しかし、父がそれを許さなかった。父は誰よりも信仰心に熱く、信者にもそれを説いてきた。そしてそれは僕に対してもそうだった。父は僕にすべてを伝えた。僕はそれを一応は受け取ってきたのだし、一応のことはしてきたつもりだ。父は僕を完璧に育てあげた。しかし、僕に神への信心は培われなかった。信仰は自ら掴み取るものだと父は言った。礼拝の作法や、心の持ち方を伝えることはできても、信仰心は伝えることはできないというのが、父の持論だった。それは道理であった。そして僕は掴みそこねたまま、この時を迎えてしまうのだ。

 

 

 

 

つづく

 

休業します。

なかなか思うように時間が取れないので一旦読書記録は休業します。そのかわりその日一日で思ったことを書きます。つまらないけれど。

 

NHKで女優の芦田愛菜さんがコピーライターの糸井重里さんと対談していた。芦田さんは話の中で「日本人は言葉にならないものを感じとる事が出来る」と言っていた。芦田愛菜はすごいなと素直に感じた。中学生の割に、ではなくて対等な人間としてそう思った。そう思うと同時に負けてたまるか的な思いが込み上げてくる。しかし、14歳の女の子に負けず嫌いを発揮するってなんだか情けない気もする。それでも負けるよりはマシか。

 

何くそと 負けるものかと 芦田愛菜

ひとりつぶやく 三十男

 

 

『バースデイ・ガール』村上春樹

『バースデイ・ガール』村上春樹の短編です。

 

 

村上春樹さんの短編の中でもかなり短い部類になると思います。

 

 

 

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『バースデイ・ガール』村上春樹

 

 

ひとりの女の子が20歳になります。その誕生日、バイト先で急に欠員が出て仕事に出なければいけなくなります。それが不思議な一日の始まりでした。彼女はレストランで働いているのですが、このレストランではいつも決まった時間にオーナーに食事を持っていくという決まりがあります。いつもは支配人が持っていくのですが、その日に限って彼女が持っていくことになります。そしておそるおそる食事を運びます。そこで待っていたのは一人の老人でした。そして老人は言います。「なんでも一つ願い事をいってごらん。それを叶えてあげよう」。

 

 

誕生日だからっていいことばかりが起きるとは限りませんよね。世界中のひとびとの誕生日すべてがすばらしい一日だったらいいのですが、中には思い出したくないような悲惨な一日になることもあるわけです。わたしの誕生日はだいたいロクなものじゃない。はあ。みなさんの誕生日が素晴らしいものであることを祈っています。

 

 

それでは。

『こうしてイギリスから熊がいなくなりました』ミック・ジャクソン

今日は珍しく海外文学なんです。背伸びしてます。

 

 

でも内容的には難しい本じゃあありません。『こうしてイギリスから熊がいなくなりました』は寓話的な内容になっています。平たくいうと、日本昔ばなしみたいな感じですね。

 

 

 実際イギリスには野生の熊がいないそうですね。大昔はいたそうなんですが、絶滅してしまったようです。本当にいなくなった理由はわかりませんが、この本の中では〈人間の愚かさによって〉熊はいなくなった。と書かれています。熊を中心に描きながら、人間の本質を描き出した一冊ですね。

 

 

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『こうしてイギリスから熊がいなくなりました』ミック・ジャクソン

 

 

ところで、熊って不思議だと思いませんか。日本において熊のキャラクターってすごく人気があると思うんです。いえ、世界中で人気がありますよね。テディー・ベア、くまのプーさんグルーミーなど。日本の客間には昔から木彫りの熊が欠かせません。こんなに愛されているのに、実際の熊には、決して会いたいと思わない。もし、遭遇してしまったら、それはピンチですよね。熊の人気と、実際の熊にはすごく隔たりがある。これって熊ならではだと思うんです。

 

 

この本に出てくる熊はなんだか人間臭いです。人間のように振る舞ってみたりするし、人間にとって役に立つこともする。でも人間は愚かだから、調子に乗って熊に頼りすぎて、熊も愛想を尽かしてしまう。っていうのび太ドラえもんみたいに話は進んでいきます。人間ってほんとバカ。

 

 

明日誕生日なんです。