『嘘』1
短い小説のようなものを書いていきたいと思います。
プロットは大体のものしか書いておりませんもので、どうなるのか、いつまでつづくものか、まったく私自身見当もつきませんが、おつきあいいただければ幸いです。
駄文・悪文・誤字・脱字のオンパレードの可能性もありますが、その際はぜひご指摘ください。ご意見ご感想等寄せていただけましたらたいへん喜びます。どれくらいのペースで連載していくのかわかりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは。
『嘘』
「永田くんは本当に神様って信じてる?」
窓の外を見ると、庭の椿が花を落とし緑の濃くなった葉が茂る。国道の側にあるこの建物は、窓を閉めきっていても車のロードノイズが響く。西田の鋭い声はその音にかき消されずに僕に届く。ただしその手垢のついた質問には答える気にもならない。
「私は信じてる。だってそうじゃないと何のためにここにいるかわからないし」
西田は僕に背を向けて礼拝用の銀食器を磨いている。熱心に磨かれた銀色の皿は朝日を反射して眩しい。僕は彼女の華奢な背中を見つめている。薄手のカーディガンには肩甲骨の薄い線が浮かんで見える。
「もし本当に信じられないっていうのなら私が保証してあげる。この教えは絶対に間違ってないって」
もし神がこの光景を見ていたなら、西田に拍手を送るのだろうか。あるいは神にはそういった感情はないのかもしれないが、とにかく僕はなにも答えたくなかった。あと少しすれば僕は教師になる。この教会に生まれついた運命。一年ほど前に父から言われたときも異論はなかった。両親や周りの信者連中は喜んだが、西田は今でも心配しているようだ。
僕には信仰心がない。教会で与えられている仕事はこなすけれど、信仰心とは関係がない。だいたい信仰心というものがどんなものであるか、それもわからない。その点、西田は信仰者だといえるだろう。彼女はいつも自信に満ちていて、朝夕には必ず教会で祈りを捧げる。僕も一緒に礼拝しているけれど、神のことなど頭にはない。一緒に育ってきたけれど、どこでこの差が生まれたのかわからない。教会は継がなければならないから継ぐ。継ぎたいとは思わないが、両親を裏切ることはできない。
父はもう歩けない。歩けなくなった。病気がわかったのは二十年ほど前だったらしい。ゆっくりと体の自由が失われていく病気で、本当はもう十年前に死んでいるはずだった。父は驚異的な粘りを見せ、最近まで難しい神言を説いていた。いや、それは今でも変わらない。この十年の父の様子に医師は驚いていた。両親は神様の御加護だとよく言う。それから昨年末に父は車椅子に乗るようになり、今月のはじめに入院した。もう長くないという。
少し焦ってもいた。僕に父の代わりが務まるだろうか。神への信心を持たないものが教師になることが許されるのか。話の技術を磨き、法衣を着てそれらしく見繕ってみても、その底に信心のない言葉は嘘に等しい。毎日必死で教義書をめくってみても、神を信じる方法は書かれていない。
代務者を立てる話もあった。三十歳の世間知らずには荷が重いと思われたのかもしれない。しかし、父がそれを許さなかった。父は誰よりも信仰心に熱く、信者にもそれを説いてきた。そしてそれは僕に対してもそうだった。父は僕にすべてを伝えた。僕はそれを一応は受け取ってきたのだし、一応のことはしてきたつもりだ。父は僕を完璧に育てあげた。しかし、僕に神への信心は培われなかった。信仰は自ら掴み取るものだと父は言った。礼拝の作法や、心の持ち方を伝えることはできても、信仰心は伝えることはできないというのが、父の持論だった。それは道理であった。そして僕は掴みそこねたまま、この時を迎えてしまうのだ。
つづく