『最終兵器彼女』高橋しん②
昨日のつづきです。
ちなみに最終兵器彼女は実写映画化されています。わたくし、見ましたが、見なくて良かったです。
ちなみに、ノベライズもされています。これは、読む価値アリです。でも漫画でじゅうぶんですけど。
最終兵器彼女はアニメ化もされております。僕、正直に申しましてアニメから入りました。もちろん内容は原作そのままですし、谷戸由李亜さんの歌うop曲・ed曲、これがまた素晴らしくいい!!最終兵器彼女の世界観にすごく合ってます。ぜひお聞きいただきたい。
ああ、やっぱりいくつになっても好きな作品っていうのは色褪せないものですよね。もちろん新しい作品が次々と生まれていて、それもすごく面白い。でも、自分の一部になっている作品って忘れられないんです。
その時のことを思い出していると、芋づる式にほかの懐かしい作品もたくさん思い出してきました。。。
その紹介はまたの機会に。それでは。
『最終兵器彼女』高橋しん①
今日は珍しく漫画の話をしたいなあと思います。
僕が一番好きな漫画の話です。
僕のアンダーグラウンドはここから始まってると思うんですよね。たしか中学生のころでした。最終兵器彼女を初めて読んだときに驚きを隠せませんでした。それまで僕が読んでいた漫画はワンピースやナルト、いちご100%などでしたね。それも懐かしいですが。とにかく最終兵器彼女の衝撃は今でも忘れられない。
平和ボケのアホな中学生には、とにかく色んな意味で衝撃的でした。こんなにも次々と人が死ぬ漫画を読んだのも初めてでしたし、こんなにも堂々とセ◯クスという単語が登場する漫画も初めてでした。こんなにもせつなく、悲しい物語を読んだのも初めてだったんです。僕には刺激が強かったんですね。いろいろ。
そしてテーマも重い。今読んでも深い作品だと思います。むしろ大人こそ読むべき作品だと思いました。基本的には主人公「シュウジ」と「ちせ」のラブ・ストーリーなのですが、貫かれているテーマは「戦争の愚かさ」です。もっといえば「人間の愚かさ」かもしれませんね。
最終兵器になってしまった「ちせ」。この時点で荒唐無稽な設定ですね。でもそれが必要なんです。人間の部分を残しながら、人間ならざるものになってしまった「ちせ」。すると「ちせ」には見えてしまうわけです。神の視点から見えてしまう。人間の愚かさが、戦争の悲しい結末が、地球の最後が。
明日に続きます。
『リバース』湊かなえ
今日の一冊はこちら。湊かなえさんの傑作ミステリ『リバース』。藤原竜也さん&戸田恵梨香さん主演でドラマにもなりましたよね。もちろんそちらも面白かった。
湊かなえさんはこの小説を書き始める前に最後の一行だけ決めていたそうですね。読み終わったあと「なるほどね~」と思いました笑 もちろん伏線もたっぷりあってミステリ好きの人にはすぐにわかっちゃうのかな? わたしには最後までわからず、謎のままで楽しめました。読み返すと「あっ」って気づくのがまた楽しいんですよね。
序盤の展開を話しますと、主人公〈深瀬和久〉のゼミの友人が死んでしまうんですね。もちろんそれは事故として片付けられているわけですが。主人公としてはそれが納得いかないわけなんですね。遺族としても少し腑に落ちない点がいくつかあったりして、揉めた過去もある。しかしそれは大学時代の話。今の自分にはもう終わった話だった。しかし三ヶ月前に付き合ったばかりの彼女のもとに一枚の封書が届く。そこに書かれていたメッセージは「深瀬和久は人殺し。」だった。
いやはやなんとも穏やかではありませんなあ。いや実際穏やかではないのですが。人が死んでいるわけですし。その後物語は意外な終着点を見つけ出すわけなんですね。それがまた面白い。
湊さんの著書は結構読んでいるかなーと思うんですけども、この作品はやはり終わり方にこだわりがあるというか、最後の切れ味の良さでは一番だと思うんですよね―。ワンアイディアであそこまで持っていくのはすごい。イヤミスの女王と呼ばれていらっしゃいますが、今作はそこまで嫌な終わりかたではないと思います。平和じゃないけど。
カリカリ梅が好きなんですけど、おすすめのカリカリ梅とかありませんかね。最近買ったやつがすごくイマイチというか……。種の有り無しはどちらでもいいのですが、おいしくてカリッとした感触を大事にしているカリカリ梅を探しています。どなたか教えてください。教えてくださった方には特製の蜂蜜をお送りします(大嘘)。
『君の膵臓をたべたい』住野よる
「キミスイ」の愛称でお馴染みですかね。そう呼んでしまうと軽くなってしまいそうで、あまり略称は好きではありませんが。 ちなみに未読の方がいらっしゃるかわかりませんが、一応断っておくとカニバリズム(食人)のような描写は一切ありません(主人公のツッコミには登場する)ので悪しからず。
まあお涙頂戴の予定調和小説ですよね、と言われてしまうとちょっと悲しい。たしかに物語の枠組みはそれほど新しいものとは呼べないかもしれません。余命を宣告された女の子。その事実をたまたま知ってしまう〈僕〉。死ぬまでにやりたいことをひとつずつ達成することが、彼女と〈僕〉の時間になっていく。そして別れは訪れる。
でもこの作品はいわゆる薄っぺらい作品ではありません。インパクトだけを狙ったタイトルでもありません。そこには明確なテーマがあり、軽く読みやすい文章には作者の意図があるのです。ここでその話をしてしまうと物語の核心に触れてしまいますので控えますが、その真意はぜひ原作を読んでお確かめくださいませ。
そしてなんといってもキャラクターの良さではないでしょうか。桜良と〈僕〉の軽妙なやりとり、息の合ったかけあいは、死をテーマに扱っているとは思えない明るさで、思わず笑みがこぼれます。漫画を読んでいるような印象を受けました(いい意味で)。ふたりの息がぴったり(見方によってはぴったりすぎる)で、いつまでも聞いていたくなるような会話文だなあと思いました。
住野よるさんはこの作品以来すべて読ませていただいているのですが、やはり会話の書き方がフレッシュですばらしく愉快ですね。読んでいて楽しい。一番注目されたのはやはりこの『君の膵臓をたべたい』ですが、この作品が好きになった方なら、どれも楽しめると思います。
これからも楽しみな作家さんですよね。
この本今ともだちに貸しているんですが、とても反応が良かったです。あまり普段から本を読まないらしいのですが、そういう方でも読みやすい一冊ですね。
『星の子』今村夏子
インフルエンザがようやく治りました。初めて罹患しましたけれど、辛いものですね。「まあ、風邪でしょ?」とか言ってた自分にドロップキックしたいですね。インフルエンザは悪魔のウイルスや!!
今日の読書はこちら。今村夏子さんの『星の子』です。今村さんの著書はまだ多くないのですが、どれも面白いです。デビュー作の『こちらあみ子』、芥川賞候補作『あひる』、そして野間文芸新人賞受賞の今作です。どれも薄気味悪さを感じさせる不穏な空気感が漂う面白い読み応えになっています。
主人公のちひろは小さいころ体が弱く、両親は困り果てていました。そこに会社の同僚から勧められた「奇跡の水」を試してみたところ、みるみるうちに症状は改善し、両親はその水の虜になります。そして家族ぐるみで怪しげな教会に通うことになります。
この一貫して漂っている「とんでもないことが起こる予感」がたまらなくぞくぞくします。すぐにでも崩壊してしまいそうな不安がページを捲る手を止めさせません。今村さんはそういう手法に長けています。
今村さんの新作は一度文学ムック『たべるのがおそい』で「白いセーター」だったかな?とにかくそんな名前の短編を寄稿されてましたが、それ以外に新作らしいものはまだありません。ファンとして早く今村さんの作品が読めるのを楽しみにしております。この読み応えほんとに癖になるんですよねー。
ところで僕の中指の先端がいやに腫れてきているのですがこれはなんだろうか、ということで病院に行ってまいりました。するとお医者さんいわく「ひょうそ:瘭疽」という病気だそうで、針をぷすっと刺され、ぐいぐいと押すと大量の膿が……。
痛みがかなりあったのですが、そうしてもらったことで痛みは大部分なくなりました。ですが、腫れがひいたわけではないので、正直不安です。これ、いつ治るんやろ。
『コンビニ人間』村田沙耶香
今日はわたしが大好きな作家さんのお話を。
今回は村田沙耶香さんです。彼女は作家仲間のあいだでは"クレイジー沙耶香"と呼ばれているとか。ラジオやテレビでもほかの作家さんがよくそのクレイジーぶりを紹介していたりしますね。そのクレイジーぶりが村田さんの魅力を一層ひきたたているような気がします。かわいい。
そんな村田さんの著書は、やはり一風変わった作品が多いです。
とくに性に対して、いびつな捉え方をした主人公が多いように思います。著書のなかではかなりおもいきった表現が見られます。ちょっと普通ではいいにくいようなことも、鮮やかに描いてのけるところが華麗です。そんなわたしの一番の愛読書がこちら。
芥川賞受賞作、さらには海外にも翻訳され、『The New Yorker』の「The Best Books of 2018」に選出されるなど、もはや紹介するまでもなくなってしまいましたね。芥川賞に選ばれたときも、近年の受賞作にはなかった面白さだ!とか言われてましたしね、やはりそれは間違いがなかったと。
でも本当に『コンビニ人間』は面白い。ストーリーはわかり易いけれど、展開は読めない。キャラクターは愛くるしいけれど、理解はできない。コンビニというあまりに手近でリアルな場所なのに、描かれているのはまるで異星人との遭遇です。このかずかずの矛盾が『コンビニ人間』を名作にしたのです。
そしてもう一つ、これは村田作品に一貫して描かれていることなのかもしれませんが。著書がいつもわたしたちに問いかけるのは、「ふつう、ってなんだろう」という言葉です。わたしたちが疑いなく信じているものに容赦なくメスをいれ、手際よく解いてゆくその筆致にいつも見惚れます。気持ちがいい。
わたしたちは普通でなければならない、そんな窮屈な世の中を生きていたようです。もちろん最近はそうでもない風潮も大いに感じますが。しかしこの根本的な概念までひっくり返しかねない村田さんのふつうへの切り込み方は尋常じゃありません。でもそれって大事なことだと思うんです。ふつうが正義だ、ふつうが正しい、そんなふうにふつうを振りかざすってとても危険な気がします。
ふつうって、わたしたちが信じてる勘違いのことなんですよね。ぜんぶじゃないですが。
このまえ、少し遠出して大きな書店に入ったのは良かったのですが、なんだか本屋さんというよりもおしゃれな空間として出来上がりすぎですよね……。もうおしゃれじゃないとゆっくりできませんよ的な空気出てますよね……。自然と早足になりますよね……。
『檸檬』梶井基次郎
京都に3年ほど住んでいた。休日に風情あふれる街並みを散策するのが当時の楽しみだった。古都の街並みはいつでもわたしの期待に応えてくれた。ダークトーンで統一された平屋の連なり、隅々に京都らしさを感じさせる家屋のディテール。時折顔をみせる、昔ながらの商店。それらはわたしのこころに沁みて、今も残っている。
京都を舞台にした小説は多い。それは京都が個性にあふれた街であるからだろうか。その個性にインスピレーションを受けて、ふわりと頭に物語が浮かぶのだろうか。いずれにせよ、それが京都のひとつの魅力であることに違いはないだろう。
『檸檬』はわたしの最も好きな短編である。この短い話のどこに、それほどまでにひとを惹きつけるものが隠されているのかさっぱりわからない。しかし、面白い。まさに短編の見本と呼ばれる所以であろう。この小説が流行った当時は、書店に檸檬を置き去りにする事件が多発したとかしないとか。
この話の舞台は京都・寺町である。今も情緒のあふれる街並みがつづく。お立ち寄りの際は舞台となった八百屋を探してみるのも面白いかもしれない。と、いいたいところだが残念ながらそのモデルになった八百屋も10年ほど前に閉店してしまった。三条通りにあったといわれる「丸善」もいまでは当然跡形もない。時代は流れてしまった。なんとも寂しいものであるが。
ところでいまさらだが、芥川龍之介賞と直木三十五賞が発表された。わたしの希望は町屋亮平さんと森見登美彦さんだったのだが、半分だけ希望を叶えてもらったカタチになった。森見さんは早くも見放されてしまった感が出ている気がするが気のせいだろうか。とはいえまだまだ機会はありそうなので頑張っていただきたいものだ。受賞の暁にはさぞかし京都も盛り上がることだろう。
ところでコンビニチェーン店がこぞって成人誌の取扱を辞めるという。実は海外では誰もが利用するコンビニに、堂々と置かれていることはありえないそうだ。わたしには関係のない話だが、その手の筋の人には大打撃だろう。とくに配送業者は重さで料金を決めているため、かなりのウェイトを占める成人誌が無くなるのはかなりの損失だ。当然出版業界にも大きな痛手である。わたしには関係のない話だが。
『騎士団長殺し』村上春樹
久しぶりに村上春樹の1000頁を超える長編小説ということで、読むこちらとしてもなぜか肩に力が入ってしまいました。みなさんも経験がおありでしょう、好きな作家さんの小説を読むとき、わたしは高揚感で満たされます。
春樹さんの小説は読みやすいのが一番ですね。文も歯切れがいいし、わくわくするような比喩もその楽しみの一部になっています。今回の『騎士団長殺し』もいままでの文体をそのままに、読後は「ああ、春樹を読んだ、堪能した」と満足する内容でした。
画家の〈僕〉は、妻に「一緒に住むことはできない」と唐突に告げられる。それからあてもない旅をする。その後友人を頼り、小田原の郊外の山の上にある一軒家に住み着くことになる。その友人の父となる人物は〈雨田具彦〉という高名な日本画家であった。そしてこの家はその画家の作業場兼別荘であったという。〈僕〉はとてもそこが気に入った。あるとき、天井裏で妙な包みを目にする。それは"騎士団長殺し"と題された一幅の日本画であった。
書評などをするつもりはないのですが、しかし今回ばかりはあまりに世間の評価が賛否両論まっぷたつでしたので、ひとことだけでも書かなければなりますまい。
今回の作品は、はっきりと申し上げて冗長が目立ちました。もちろんそれは村上春樹の空気感を醸し出す上で必要な過程でもあります。事実、これまでも長いだの、細かいだのいわれ続けているわけですから、これはもうそういう文体なのです。村上春樹の文学を構成する一部分なわけですから、それを切り離しては評価できない。
ただし、それは村上春樹が好きで『騎士団長殺し』を読んだ人の感想です。村上春樹は人気作家です。そうなれば好きな人も、嫌いな人も、興味のない人まで読むわけですから、そのひとたちを1000頁超の結末までつれていこうと思えば、長かったのではないかとも思います。そりゃそうでしょうね。わたしだって興味もない長いだけの文章なら読めたものじゃありません。
でもこういう評価をされることも人気作家の宿命なわけで。そもそも面白くなければ売れませんし、批評もされません。ファンならば『騎士団長殺し』は面白かった。そのひとことでじゅうぶんです。笙子さんはナイスバディだし、絵画教室の人妻はエロいし、まりえは少し胸がふくらんだ。それでじゅうぶんじゃないですか。
昨日、近所のスーパーに行ったときのこと。中学時代の恩師を見かけました。女性の数学教師で、3年時の担任でした。その恩師は棚に商品を詰めていました。新人研修のみどりの腕章をつけて。わたしはすこし歩みを早め、その場をはなれました。
『博士の愛した数式』小川洋子
わたしが先生と呼んでいる(勝手に)小川洋子さんの感動の名作『博士の愛した数式』。私は読み終わるまでに2回泣きました。とはいっても、悲しいお話じゃありません。辛いシーンもありますが、読み終えたときにはしっかりと前を向いて生きていくための力をもらえている。そんなお話だと思いました。
こういうお話って、ちょっと元気がないときにすごく心に沁みるんですよね。
主人公は家政婦の女性です。あたらしく務めることになった先の老人がどうやら変わり者のようで、警戒しながら家に向かうとそこで待っていたのは「80分」しか記憶の続かない老人でした。老人は当然〈わたし〉のことも覚えられず、いつも初対面のように接します。老人は数学者で〈わたし〉は〈博士〉と呼んでいます。
最初なんだか気難しい人に見えるんですけど、この〈博士〉がなんだかかわいくなってくるんですよね。〈わたし〉には子供がひとりいるんですが、〈博士〉は子供が好きなようで、数学を楽しく教えてくれるのですがこれがまた面白い。数学の解き方や答えを教えてくれるのではなく、数学はこんなに魅力的で楽しいのだ。ということを教えてくれるのです。それに影響されて〈わたし〉も数学の世界にのめりこんでいきます。こんな先生だったらみんな数学好きになってまうやろ―。
で、そんな愉快な先生なんですけどもちろん問題は山積みなわけで。家政婦としてではありますが、先生に愛情をそそぎ、なんとか力になりたいと尽力するわけですが、なかなかうまくいかなかったり誤解をうけたりします。こどもと力を合わせて先生の誕生日を祝うシーンなどは涙なしには読めません。
この作品のテーマは「愛」です。こんなに心があたたかくなる作品にはなかなかであえるものではありません。わたしは幸運ですね。
弟が店を開きまして、その手伝いに行ってまいりました。フラメンコやベリーダンスを見ながら食事ができるお店なんですけど、超忙しかったです。。。でもフラメンコすごくかっこよかったです。また見れたらいいな。今度はゆっくりと。
『イニシエーション・ラブ』乾くるみ
これはもう名作の域なのでしょうね。
いまさら解説やネタバレもないとおもうのですけども、読んでしまったものはしかたがありませんので、紹介していきます。前田敦子さんと松田翔太さん主演で映画にもなりましたね。いや、まさかこの小説が映画になるなんて……。と誰もが思ったわけです。それにはある理由が……。『イニシエーション・ラブ』を未読の方はここで引き返して、純粋な気持ちで読んでからこちらに帰ってきてほしいですね。そのほうが100倍楽しめるので。
この作品の素晴らしいところは一見するとただの恋愛小説、ラブ・ストーリーのように読みすすめてしまえるところです。するどい読者のかたなら違和感はあれども、まずまちがいなく最後までするすると読み終えてしまう。しかし最後の二行にはとんでもないことが書かれている。というカタチになっています。つまりミステリーなんですよね。人も死なないし、事件もおきない。でもわたしたちは騙されている。と。
わたしははじめてこの小説を読み終えたときに、叙述トリックのとりこになったのを覚えています。なるほどと感心し、すぐにもう一度あたまから読み直しました。するとあちこちに散りばめられた伏線の数々によくもまあ、きれいに騙されたものだなあとあらためて感動いたしました。
小説の妙はどこにあるのか。そういった議論はこれまでも幾多重ねられてきたことでしょう。この『イニシエーション・ラブ』においても、たくさんの批評があり、中には見当違いだと思われるような批判も含まれていました。たとえば、恋愛の物語としてみると非常にチープである。とか。……いや、そうじゃないでしょ。ラブ・ストーリーとして純粋に読んでもらうことこそがこの小説の仕掛けであって、恋愛の話の質を高めろってそれアンタ本気でおっしゃっておられますの?という感じですよね。
しかしとにかくこの一冊は本好きなら、確実に手にとることになるであろう本です。未読のかたはぜひ、再読の方も読むたびに理解が深まって楽しいですよ。そのぶん積読がたまっていく……。
それで思い出しましたが「積読」ってことばは海外にはないそうですね。あたりまえのような気もしますが、とにかく日本のつつましやかな文化のひとつとして大事にしていきたいものですね。積読はやく消化せねば……!!
『カンガルー日和』村上春樹
本を好きになる。
わたしたちはその瞬間を経て、本を読み続けています。
そのきっかけは人それぞれでしょう。
はじめて読書の魅力を感じたのは国語の教科書でした。
学生のとき、ぱらぱらと教科書をめくっていると「鏡」という短編が載っていました。その短いはなしの面白さが、わたしを掴んで離さないのです。わたしは家にあまり本がありませんでしたので、その出会いは新鮮でみずみずしいものでした。それがかの有名な村上春樹の著書と知るのは、わたしが大人になってからのことでした。
『カンガルー日和』は村上春樹の短編集です。あとがきの日付が1983年になっていますので、かなり初期の作品ということになります。しかし最新作にまで貫かれている"ハルキ節"とでもいうのでしょうか、独特の文体はすでに完成されています。18篇が収録されているのですが、最後の図書館奇譚だけは少し長め(他の短編にくらべると)になっていて、単行本(絵本)にもなっていますね。すごく面白いですしおすすめです。
その中でも印象深いのはやはり「鏡」です。村上春樹さんからすればデビューしてまもない頃の実験的な1篇に過ぎないのかもしれませんが、わたしにとってはいまでも心に残る大切なものがたりです。
〈僕〉は自宅に友人を招き、怪談話を順番にしていくことになった。最後に順番がまわってくる。若かった頃のこと、〈僕〉は中学校の夜警の仕事をした。ある晩、嫌な気分で目がさめた。意を決して見回りをはじめるが校舎内に以上はないみたいだった。しかし学校の玄関を通り過ぎたとき、なにかがそこに見えた気がした。そこには僕がいた――つまりそれは鏡だった。
このあと当然オチがあるのですがそれは野暮なのでやめておきます。村上作品の特色といえば平易でリズミカルな文章と、難解なプロット。それとアメリカ感。ですが、この「鏡」では短編ということもあって、話は極めて単純です。それとリズムのよさ、文の平易さもあって、本をあまり読んでこなかった学生の脳にもそれはそれはやさしく吸収されたことでしょう。そしてその面白さは世界が認めるところですから、まさにわたしにぴったりの短編だったというわけです。
ところで最近うちにオレオレ詐欺らしき電話がかかってきました。わたしが出ましたのですぐに切られましたが。怖い世の中ですね。
『蛇を踏む』川上弘美
先日、家にくつ泥棒がはいった。
玄関先に置いていたスリッパやくつが片方ずつ無くなっているのです。両方なら使いみちもあろうというものですが、使い古しのスリッパ片方になんの価値があるのやらと訝っておりました。するとそこに新たな事実、どうやらくつ泥棒はこの街一帯に出没しているようなのです。
怒れる住民は捜索の末、犯人を絞り出すことに成功します。まあ、防犯カメラに写っていたわけですが。犯人は……たぬきでした。そう、あのたぬき。その寝床も突き止められ、あえなくご用となりました。そこには数百足のくつやスリッパが……なんともかわいらしい事件でした。
ということで今日の一冊はこちら。
ある日、藪の中で蛇を踏んでしまう。蛇はどろりと形をなくし、女の姿になって立ち現れる。そして蛇は〈わたし〉の母を名乗り、家に住み着いてしまう。追い出せないまま困っていると、蛇に魅入られたのはどうやら〈わたし〉だけではないようで……。
川上弘美さんはわたしの愛読する作家さんの一人です。川上さんの作品にはいつも(と言っていいと思う)ふしぎな生き物が登場します。それが不気味でもあり、またかわいくもあるという、そのへんがふしぎなわけですが。それは人魚だったり、河童だったり、くまだったり……そしてこの作品における蛇がそうですね。
蛇は家に住み着きますが、なにか危害を加えるわけではありません。むしろ料理を作ってくれたりするのですが、これがまたなかなか美味しそう(な描写)。気味が悪いし追い出したいけれども少しありがたかったりもするんですね。もちろんそこには独身女性を中心に据えたテーマやメタファもあるのかもしれませんが。
とにかく川上さんは現実と異界との境界線を意識させないところがすごい。まったくリアリティのない設定なのに、気づくと物語の中に引き寄せられてしまっている。まるでわたしたちまでが、蛇に魅せられてしまったかのように。未読の方には、この感覚をぜひ味わっていただきたいと思います。
ところで上述のようなどうぶつがくつを盗んでゆく事件は全国で発生しているようです。ちなみにくつを持っていく理由は、くわえやすい大きさだから、なのだそうです。かわいいから、よしとしましょうかね?
『キッチン』吉本ばなな
こんばんわ。kuroiです。
今日はひっこし記念に吉本ばななさんの『キッチン』をよませていただきました。
ばななさんの著書は死をテーマに書かれることが多いですね。ばななさんのデビュー作でもあるこの作品ですが、やはり死がテーマになっています。それでも暗い雰囲気ばかりではなく、明るくチャーミングな部分もあって大変読みやすい一冊だと思います。
『キッチン』には表題作の「キッチン」とその続きの物語にあたる「満月―キッチン2」、そして泉鏡花文学賞受賞の短編「ムーンライト・シャドウ」が収められています。初版が1988年ですから、昭和の一番最後の年ですね。世界的に評価されている作品ですし、国語の教科書にも採用されているそうなので、読んでいる方もかなりいらっしゃるのではないでしょうか。
かけがえのない大切な人を失ったとき、ひとはどうすればいいのでしょうか。そのこたえを出すのは容易なことではないでしょう。ひとまずは家族や身近なひとに甘えることがいいのかもしれません。時間が解決してくれることもあるでしょう。しかし現実に大切なひとを失い、そのことをすっかり忘れて次のことに爽やかに進み出せることなどあるのでしょうか。
頼れる身内のないみかげ(主人公)に、やさしく声をかけてくれる雄一の存在はどれほどの支えになったことでしょう。ひとはささえあって生きていくと、どこかの学園ドラマで見た気がしましたが、まさにそのとおりです。辛い時は支え合って生きていくしかないのです。
もっとも重要なメッセージは、大切なひとの存在がまったく当たり前のものではないというところにあります。ひとの死は突然で(そうでない場合は幸運なのかもしれません)だれにでも平等であるという残酷さ。それが親友でも、肉親でも、愛するひとであっても。わたしたちがいつも一緒に過ごしている愛すべきひとたちが永遠のものでないことを実感させられます。そう思ったとき、大切なひとにやさしくなれるような気がします。
というわけでインフルエンザが全国で猛威をふるっておりますので、どうかみなさんご自愛くださいますよう。